奈倉クリニックの歴史

奈倉産婦人科医院は約400年前より尾張名古屋の城下町である大津町にて婦人科を専門に代々継承して参りました。愛知県下で最も古い産婦人科であり、恐らく日本でも有数の「老舗の医家」であると自負しております。
現在13代を数え江戸時代には尾張徳川家の御典医(お見目医師)として名古屋城に登城しさらに明治、大正、昭和と町医師として地域医療に貢献して参りました。
ここ名東区に平成9年より13代目として、新たに奈倉レディースクリニックを開設致しました。

当院内には2代目より代々使用されてきました看板が掛けてあります。初代奈倉道伯は1611年の春頃、名古屋に城下町が出来た時から婦人科医を専業とし、大津町奈倉家の記録医書四冊には、それ以後の歴史的な事項が書き示されています。その内に産科奥秘の書なるものがあり、1845年9代目に教示された書で産科手術及び解剖学、さらに手術機器に至るまで現在の機器の原形とも言うべきものが紹介されております。そして現在も当家に大事に保管されております。
また、奈倉家秘伝の「二女散」は産前産後の妙薬として有名で あり、守山に自家薬園「栽杏園」を有し和漢薬にも精通していた時代がありました。

産婦人科の診療には古典的な部分が多く、特に分娩及び産前産後に於ける妊婦への対応などは今でも昔ながらの方法が伝承されていることが多いと思われます。婦人病に対する漢方薬の使用などは今も昔も変わらず用いられている方法であり、西洋医学が隆盛の今日でも欠かすことの出来ない治療法であります。

当医家では350年前に先ず漢方薬の投薬の中より更年期障害や卵巣機能不全症に卓効のある処方を編み出し代々家伝薬として医業を続けて来ました。
江戸時代は男性中心の社会であり、その中で婦人の方々を病より救う事を家訓として参りました。一方出産は太古から人類の女性の大切な「仕事」と言うべき大役であり危険を伴うことが多く、母児は多数死亡しました。「取り上げ婆」と言われたお産に経験のある女性が行っていました。これに医師が研究を重ね産科技術ができました。そして日本の産科術はオランダに紹介され、江戸時代でも世界の医学会に認められていました。そしてわが医家では代々の医師が京都へ江戸へと大先生を訪ねて国内留学し産科の伝統を守って参りました。

現在、産科学は西洋医学の時代です。児の出産は自然分娩を主に必要な産科医術を駆使して健全な母児が退院出来る様に努力しています。その結果、母児の死亡率も格段に低下しました。これは産婦人科医療の進歩の結果ではありますが、この様に当産婦人科医院が今日400年の年月を経て継承出来たのは医療に対する弛まぬ研究心及び医療への貢献、そして患者さんとの信頼関係を構築し継承できたからに他なりません。

13代奈倉レディースクリニックはその精神を伝承しながら、患者様一人一人との信頼関係を大切に地域医療に尽力して行きたいと思います。